ザ・HISTORY-写真で見るダイフク史ダイフク飛躍の礎となった御幣島工場の新設

御幣島工場の全景

1937年5月20日、ダイフクの前身である株式会社坂口機械製作所が発足しました。大阪市西淀川区大和田町(現・同区千舟)に敷地3,300m2の工場を構え、従業員150人での出発でした。
第2次世界大戦前夜の国家統制経済の下、鉄鋼関係業界は業容の拡充を迫られます。そこで1939年、まだ田畑が広がる西淀川区御幣島(みてじま)に1万4,470m2の土地を購入。御幣島工場としてスタートしました。戦時中は軍需の仕事がすべてに優先されたため、船舶の蒸気機関や航空機製造用の鍛圧機械を製造しました。なお、1940年には本社を大和田町から御幣島に移転しています。
戦後、御幣島工場ではクレーンや昇降機「スタッカー」、搬送機「パイラー」、各種コンベヤなどを製造し会社を支えました。その後、米国のJervis B. Webb Company(現・Daifuku Airport America Corporation)と技術提携してチェンコンベヤの製造に乗り出し、乗用車生産の本格化を支えていくことになります。

3段式で袋物を高所に積み重ねる昇降機「スタッカー」(写真左)と、移動式で高低自在に積み込む搬送機「パイラー」(写真右)。

御幣島工場と全従業員(1949年6月)
  • 当記事は『日に新たなり ダイフク50周年史』および『モノを動かす。心を動かす。 ダイフクグループ70周年記念誌 1937年~2007年』の内容をもとに再構成したものです。

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